2025年1月18日

西和彦の「反省記」を読んだ

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こんにちは。ディープビジョン研究所です。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
 
今回はブランド戦略コンサルタントの江上隆夫が
”西和彦の「反省記」を読んだ”
というテーマでお話しします。
 
それでは早速どうぞ!
 
 


 
 

西和彦さんの反省記という
半生記的な自分の人生を
振り返る話を読んだ。
 
西さんと言っても
たぶん若い人には
何のことやら、だけど。
 
 
1970年代。

まだ、
パーソナルコンピュータの
黎明期のころ。

当時、早稲田大学の学生だった西さんが
21歳でアスキー出版を創業し、
ビル・ゲイツと意気投合し、
初期のマイクロソフトの
技術担当副社長兼
ボードメンバーになる。
 
ボードメンバーって
ビル・ゲイツとポール・アレンと
西和彦の3人だよ。
 
マイクロソフトの
超中心に居たのです。
 
20代前半で、シリコンバレーと
日本を飛行機のファーストクラスで
往復しながら日本の有名企業の
社長と懇意になり、その企業と協業して
次々とパーソナルコンピュータの
大ヒットと飛ばす。
 
 
当時は「天才:西、神童・孫」
と言われていたそうな。
(覚えてないけどそういう存在感はあったなあ)

西さんは超ビジョナリーであり、
強烈な情熱をもったアイデアマン。

なんせIQ200超え。
 
 
その強烈さゆえ、
ゲイツと大喧嘩。
(今は仲直りしてますけどね)
 
ボードメンバーに残れ、
というビル・ゲイツの誘いを断り、
世界的な大金持ちになる道をどぶに捨て。

上場させたアスキー出版からは
追い出され。
 
人とは仲たがいし、たくさん裏切られ。

MITの教授になりながら
4年であることでブチ切れて
教授職を捨て。
 
まあ、その才能の裏生地は
理想に対する思いの強さか
超短気でけんかっ早い。
 
超スゴイ人であり
超面倒くさいヤツなのです(笑)。
 
 
読みながら思うのは、
失敗の量はわきに置いて、
その熱量に、そのどうしても私がやるんだ、
という膨大な熱量がうらやましくなります。

そのエネルギー量を抱えた者のしんどさも
想像できるけど。

その熱量で生き切れたら
死んでも悔いはないよな、と思います。

平穏無事もありだけど
情熱大陸的な冒険者な生き方も
大有り。

突き抜けたバカが居ないと
世の中は動かないし、
変わらないから。
 
 

 
 
いかがでしたか。

小学生の成績表は3や4の並なのに、
IQテストで200を叩き出し、
腑に落ちなかった先生に下方修正されたり、
高校時代のテストの成績はビリだったり。
素地として天才的な頭の良さを窺わせながらも、
学校の勉強的にはバカといわれたらしい西氏。
 
でも、社会に出たら天賦の才を発揮していく。
まさに天才。
 
性質の激しさゆえ挫折も失敗もあった人生ではあったものの、
江上のいう
「その熱量で生き切れたら
死んでも悔いはないよな」とはまさに羨ましい限り。

西氏のことばにこんなヒントがありました。
 

ーーーーーー
「面白い!」心の底からそう思う瞬間がある。
いわば、感動する瞬間だ。
「すごい!」でもいいし、「何だこれは!」でも何でもいい。
人生には、必ず感動がある。
僕は、その感動こそが、よい仕事の出発点にあると思っている。
 
 もちろん、ビジネスに育てていくうえでは、
「実現可能性」や「市場性」などといった観点も不可欠だが、
これらは二の次。原点に感動がなければ、
何も始まらないし、よい仕事にはならない。
何よりも大切なのは、感動を原動力に一歩を踏み出すことなのだ。
 

ーーーーーー
出典:「22歳のビル・ゲイツと盟友関係を築いた
驚くほど“小さな”きっかけ」
ダイヤモンドオンライン

 
 
ではまた次回のブログ更新もお楽しみに!