2020年10月8日

武士の教養

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こんにちは。ディープビジョン研究所です。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。

今日のコラムは、ブランド戦略コンサルタントの江上隆夫が、
「日本式システムをどう再生するか」というテーマで
「武士の教養」についてお伝えします。

こちらの記事「地理的にめちゃ恵まれている、日本!」の続きです

それでは、早速。

 

 

さて。

日本式システムをどう再生するか。

課題と病識を剔抉する作業を続けています。

日本式システムの欠点
****************
(1) スピードの遅さ
(2) リーダーシップの欠如
(3) 組織の自律性の喪失
(4) 自己変革力の欠如
****************

今回は原因要素の(4)を論じています。

で、課題設定。

「自己変革力が欠如しているのに、
なぜ、明治維新は成功したのか?」

確かに、なぜでしょうか?

 

2つ、要因が、あります。

ひとつは武士の「教養」です。

そして、もう一つは、「極東」です。

きょくとう、Far East、と呼ばれる
日本は欧米を中心にしてみると
もうほんとに東の端っこ。

もの心ついて以来、見なれている
世界地図は当然、大西洋が分割されて
左右の端にあり、太平洋が中央付近に
ドカンとある。

だからFar Eastと言われても、
なんでか分らなかったんですね、
少年エガミくんは。

ところがある時、
太平洋が左右の端にある
世界地図を見たんですね。

その地図では、日本が
右の端の端っこにあるじゃないですか。

そうか、おうべいではこういう捉え方なのか。

、、、、と、自分の国の立ち位置や
どういう見られ方をしてきたのかを
少年ながらに理解してしまったわけです。

幕末の武士たちの頭に、実は、
この世界地図の図柄が浮かんだ可能性があります。

いずれにしても、
1853年のぺリーの蒸気船は
この国が圧倒的な辺境であり、、、、

彼我の差が絶望的なほど巨大であることを
即座に理解する「客観化の知性」は
持ち合わせていたわけです。

1603年の徳川開府以来、
およそ250年間、東の端っこで
小さく開いた長崎出島の窓から
世界を見ていた。

そして噂には聞いていたけど、
紅毛碧眼の人間が、
どれほどの技術と文明を築いたかは
この4隻の「ガイアツ」を、この目で見るまでは
信じられなかったんですね。

でも、即座に、この事態の
意味合いは理解はできた。

自己変革なしには
国が亡びるか、植民地化されるしかないのだ、と。

 

では、なぜ、この理解ができたのか。

かなり大きかったと思うのが
武士階級の『教養の厚み』です。

まず思い浮かぶのが「四書五経」です。

『四書』は「大学」「中庸」「論語」「孟子」、
『五経』は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」。

いわゆるチャイニーズ・クラシックス。

 

武士階級の子供たちは、
東アジア地域の思考のベースとなる
古典の素読を5歳から7歳くらいから始めます。

下級武士も何も関係なく。

鎖国という状態の中で、
武士の子が最初に学ぶのは儒教の中心的概念を書いた
「中庸」ですからね。

いまの時代になおせば、
ヘーゲルの弁証法を原語で
素読するようなもの、、、

、、、でないかもしれませんが(笑)

 

さらに勉学を積みたい人は朱子学、儒学、国学、
医学(オランダ語から学ぶ蘭学や漢方)もあれば
和算や天文学などの専門学術もあった。

蘭学はイギリスの台頭の前、
世界帝国であったオランダから
「医学、天文学、本草、博物、植学、
化学、地図、暦学」などを取り入れたもの。

この世界地図、1810年につくられたものですが
なかなか正確!
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1286206

これは1837年から47年にかけて全7冊で
刊行された化学入門書(78pを見てください!)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2556255

 

武士の基礎教養は、実は世界レベル。

つまり、
この教養の厚みが「判断の厚み」
客観性、正確さ、議論の土台となった。

さらに、下級武士も含めた
数千人の幕末の志士を生み出し、
自己変革を推し進める
原動力になっていったと考えられます。

国は鎖国していたけれど、
教育も、意識も、鎖国はしていなかったのです。

これは大きかったと思います。

もう、ひとつは「武士道」です。

 

 

いかがでしたか。
次回の更新もお楽しみに!