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新しい哲学を必要とする時代

2025.06.24

新しい哲学を必要とする時代

今回はブランド戦略コンサルタントの江上隆夫が
「新しい哲学を必要とする時代」
というテーマでお話しします。

それでは早速どうぞ!
 
 

 
 
AI、量子コンピューティング、
核融合、遺伝子工学、ロボティクス、
脳科学など最先端科学の発展で
とても重要になるのが「哲学」です。
 
最近、リアル書店に行くと
哲学、思想系の本が最近よく目に付きます。

単に私の勘違いか、そうした本に
ちょっと関心があるからなのかもしれませんが(笑)
 
 
つまり、早い話が、
どう、それら(1)人間を取り巻くテクノロジーと
(2)人間存在と(3)外界(宇宙、自然環境、社会など)を
捉えて、位置付けるかが大きな問題になってきていると感じます。
 

なぜ、問題になってきているかというと
いままでの考え方(哲学、思想、倫理・・・常識)で
現実がまったくとらえきれず、かつ収まらなくなってきているから。
 
人類が「ヤバイ!!」とあわてふためいている感があります。

個人的にもヤバイ!と思っています。

大混乱期の入り口に立っている感がありあり。
 
だって、自分たちの、「より良い人間観や社会観」が
立ち上げられなくなってきているから。

早い話、そうしたものがないと次の世界って作れません。

土台がない場所に家は建てられません。
 
 

こうした時代の変化に対応した
哲学や思想の再考&再興は何度も何度も起きています。
 
近場だと・・・
 
デリダ、フーコー、ドゥルーズなど
1970~1980年代に日本でも大流行したポスト構造主義。

哲学などの話題や本に詳しい若者がかっこいいと思われた時代です。

当時20代の哲学者・浅田彰さんのポスト構造主義の本、
『構造と力―記号論を超えて』『逃走論―スキゾ・キッズの冒険』などが
ベストセラーになっていましたからね。
 
いまじゃまったく考えられませんが(笑)

もうちょい前だと

「実存は本質に先立つ」と言ったサルトルに代表される
1960年安保世代を中心に流行した実存主義。
 
いまはどういう思考、捉え方があるのか、
その手掛かりさえ見えていない気がするのです。

 
 
面白いのは、私たち人間が哲学する理由、
原点は2500年以上変わっていません。

西洋哲学の大源流であるプラトン、
プラトンの師であるソクラテスも追求していたのは
「善く生きること」。

同時代の孔子も
人間存在にとっての理想態を追求したし。

仏陀も苦しみの中から人間と世界の
真理をつかみ取ったわけです。

彼らの500年後のガリラヤ地方にある
ナザレという町に生まれた大工の息子も同様です。
 
どうすれば「善く生きられるか」。

その問いは2500年以上まったく変わっていません。

 
 
ただ、この時代と大きく違うのは・・・
 
人間活動が地球環境に大きな影響を与えるほど
生物種として肥大化してしまったこと。

地球上のすべての生物種を一度に壊滅できるほどの
兵器群を持ってしまったこと。

人間のほとんどの能力を外部化し、さらにそれらの能力を
極大化させるテクノロジーを持ってしまったこと。
 
・・・この3点。
 
 
この3点を織り込みながら「善く生きる」とは
どういうことなのかを突き詰める。

ムツカシイけど面白くやりがいのある
哲学的チャレンジです。
 
あなたも、わたしも、哲学者も、思想家も
がんばって考えなければならない宿題です。

より善く生きるために。
 
 

 
 
いかがでしたか。

2500年以上かけて問い続けてきた
「善く生きる」という宿題。
シンプルな問いだからこそ難しい。
そして、環境が複雑化しているという事実。
深く広く、深く深く考えなければ辿りつかない。

現代は、大量の情報が氾濫する状況。
情報に接するのはネット上やサブスクリプションで。
手にとって深く対峙することなく、
サラッと目の前をかすめすぎていくだけ。

深く考えられる人はどのくらいいるのだろう。
…と、ふと心配になります。

 
でも、若者も熟年者もみんなで
この宿題に向き合わなければ。
未来を生きる人間のために。

 
それでは、次回のブログ更新もお楽しみに!