2020年12月25日

犬が街から消える前に|日本人はビジョンが苦手!?

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こんにちは。ディープビジョン研究所です。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。

今日のコラムでは、
ブランド戦略コンサルタントの江上隆夫が、経営学者である楠木建先生と
以前対談させていただいたときに感じた話をお伝えします。

未曾有のパンデミック、コロナ禍でも、
あなたがいる街、江上がいるの街や私がいる街でも犬は消えていません。

それでは、早速。

 

 

以前、Newspicksが主催する
Newspicksアカデミアというイベントで
経営学者である楠木建先生と
対談させていただく機会を得ました。

*そのときのようすはこちらから
↓↓↓
6月24日 Newspicksアカデミアに登壇 「日本らしさ」の研究(ゲスト:楠木建氏、モデレーター:山崎大祐氏)

 

司会はバングラデシュでバッグをつくり、
日本で販売する企業マザーハウスの副社長で
若きリーダーでもある山崎大祐さん。
(素晴らしい司会ぶりでした)

楠木先生は2010年に発刊された
「ストーリーとして競争戦略」という
さまざな企業の競争戦略を精緻に分析した本を
20万部というベストセラーにし、
一躍脚光を浴びた経営戦略の専門家です。

 

楠木先生をお話しして
とても印象に残ったことをいくつかを
今回あらためてお伝えしたいと思いました。

 

まず印象的だったのは
いまが日本、日本人にとって
決して悪い時代ではないという認識です。

 

一足先に停滞状態に陥ったイギリスは
(1960年代~1970年代サッチャーが現われるまで)
それはそれは酷いものだったらしいのです。

楠木先生がイギリス人から言われたのは
「まず、犬を連れた人がいなくなった。
だから犬を連れた人がいるうちは大丈夫!」
ということです(笑)。

 

でも、確かに30年もの間、停滞が続く割には
いまの日本にそれほどの状況は現われていません。

犬を散歩させる姿は、私の事務所がある近辺でも
頻繁に見ることができます。

糸井重里さんが犬を連れて
以前の事務所のそばをノンビリ歩いている姿もお見かけしました(笑)

富裕層が犬を買う余裕(金銭的、気持ち的)が
なくなるなら、それは酷い状況かもしれませんが
まだ幸い、日本はそこまでではない。
このコロナ禍でもだ。

心配性で、不安要素の強い国民代表の
私としては(笑)それでも貧富の差の拡大を
懸念していますが、確かにそう捉えることもできます。

その上で、楠木先生がおっしゃったのは
「日本」「日本人らしさ」とは
100年の時代変化に耐えうる資質こそが
そう呼べるものであって、
そうでないものは一時のものである、
ということです。

 

たとえば日本的な特質と考えられている
「終身雇用」「会社を家族のような共同体」
として扱う風潮は、戦後の経済復興時に
たまたまそれが経済合理性があったから
広がったにすぎない。

 

戦前、日本企業の在り方は
いまの金融資本主義のアメリカにそっくりで
当時の経済雑誌の対談などで
「アメリカの終身雇用や家族的な組織を真似しなければ」と
盛んに批判されていたと言います。

 

つまり、私たちが日本的な特質と思うものは
たかだかここ数十年の経験や認識であることが多く
きちんと精査しなければ本当の私たち自身の資質は
わからないということなのです。

その上で楠木先生から発せられたのが
欧米人は「インプット」にフォーカスし、
日本人は「アウトプット」にフォーカスする
ということでした。

 

これはどういうことかというと
欧米では職能で仕事が分けられています。

たとえばハリウッドの映画制作は
すごい分業化が進んでいて
カメラマンは映像を撮るだけ
編集は編集をするだけ、のように
他の職種や分野に一切関わりません。

映画のエンドロールの膨大なスタッフリストは
その証拠です。

カメラマンはどんな編集がされるか分からないので
あらゆる角度から同時に撮影し、
それを素材として提供するだけです。

カラーリストのように
撮影されたデータの色味調整だけを行う職種もあり、
(日本にもありますが)ハリウッドでは、
場合によっては色調整だけで1年かけます※。

※撮影での少しの色調の違いが
観客には無意識の違和感となって
映画の世界観をこわすことがあります。
実は日本の映画やCMの世界でも
当たり前にやっている作業です。

 

ちなみにエガミも、とあるCMを
つくったときにハリウッドのスタジオで
カラーリストと色調整を行ったことがあります。

欧米的な価値観では
その職分を全うすればOKなのです。

自分の担当範囲が
うまく行けば「終了!」なのです。

自分の能力を、その職種の範囲で
そのプロジェクトに「インプット」
(投入、入力)すればOKなのです。

 

それに反して、日本人的な職種観は
どのような職種であろうと、
そのプロジェクトの「アウトプット」
(産出、出力)にこだわる。

つまり誰もがその一員として
最終物にこだわる、
というのが楠木先生の意見です。

 

「インプット」主体だから
欧米ではリーダーは“ビジョン”を掲げて
旗を振っていないと組織は
バラバラになる。

だから“ビジョン主体”の組織が多い。

 

日本では「アウトプット」主体だから
リーダーは“気持ち”を前面に押し出し、
気持ちを汲むような姿勢を見せないと
組織はもたなくなる。(これはエガミの意見)

 

だからどうも“ビジョンが苦手”なのではないか。

 

とすると論理的な必然で導きだされるのが
大きな組織や、厳密に職掌を規定したやり方は
日本人の体質に合っていない。

つまり、TOYOTAのような巨大企業も
「アウトプット」主体であり、中身は
中小企業的な組織の集合体ではないのか。

確かに、そうなのです。

トヨタの班方式、
松下電器時代の事業部制、
京セラのアメーバ経営。

確かに、そう。

 

とすると考えるべきは
「アウトプット」的な職分を超えて
チームワークが機能するような
いきいきした中小企業的スタートアップを
がんがんと増やしていくことなのではないか。

 

え?

もう、そんなスタートアップ、
たくさん生まれている?

 

いや、思うに
いまの10倍、20倍の数の
そういう企業を増やさなければ
ならないんじゃないでしょうか。

犬が街から姿を消す前に。(笑)

 

 

いかがでしたか。
次回の更新もお楽しみに!