2021年5月6日

「既知の未知」と「未知の未知」

シェア ツイート  B! はてブ Google+ Pocket

こんにちは。ディープビジョン研究所です。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。

GWはいかがでしたか?
ニュースによると「千葉ならいいかな」「江ノ島(藤沢市)ならいいかな」と、
混雑していたようです。

江上は、
「インドの状況がスゴイ。
知人が居るので心配しています」と心配しています。

インドのワクチン接種済み人口は、日本総人口を超えているのですが、
13.66億人の国、ホント心配ですね。インドも日本も。

 

さて、今日のコラムでは、
ブランド戦略コンサルタントの江上隆夫が、
「既知の未知」と「未知の未知」についてお伝えします。

それでは、早速。

 

 

知らないことには
2つの種類があります。

知らないことを知っている
「既知の未知」と。

知らないことを知らない
「未知の未知」です。

 

当然、この手前には
知っていることを知っている
「既知の既知」があります。

で、よ~~~く考えてみると。

どんなに天才的な頭脳の持ち主でも
その知識量が人類平均の10倍あったとしても
その人の「既知の既知」と「既知の未知」の量を合わせても、
「未知の未知」の量のコンマ何パーセントにしか
ならないのではないか、と思うのです。

全てを知る神様がいたとしたら、
そう、ちゃんちゃら可笑しいわ!
と言いそうなほど、私たちは何も知らない。

科学の発展を考えると、
その蓋然性は高い。

なぜなら、ひとつ何かが発見されると
新たに3つくらい謎が生まれるからです。

近代以降、ずっと科学的発見が
続いています。

つまり、私たちは
分からないことだらけ
知らないことだらけなのです。

だから神という概念の発明、発見は
たぶん、すぐに思い上がる人間への
戒めの意味もあるんだろうと思います。

「俺たちはおおよその事は知り終えた!」と
つい、思ってしまう人間への。

しかし、神様を
発明もしくは発見してしまうとは、
傲慢でありつつ、謙虚でもある。

愚かしさいっぱいなのに
賢くもある。

いや~、人間って面白いものですね~。

と思わず水野晴朗さんの口調になりそうな
五月の心地良い朝です(笑)

本日は以上。

 

 

いかがですか。

ぜひ、貴社の、あなたのブランディング戦略に
お役立て下さい。

引き続き、今週のヒマラヤFMも
メッセージに引き続きお聴きください。

 

 

マルセル・デュシャンが
ただの便器に「噴水(泉)」と名前を付け、
ニューヨーク・アンデパンダン展に
出品したところから現代美術は始まります。

https://www.artpedia.asia/fountain/

1917年のことです。

それは、本当に、ただの便器で、
家に備え付ければ使えます。

これがアートのターニングポイントと
言われるのは、、、

これ以降、表現されたものと同等に、
あるいはそれ以上にコンセプト
「なぜ、どのような意図で創られたか」が
めちゃ重要になったからです。

「泉」は、それまでただの鑑賞物だった
アート、芸術作品の領域を思考の領域まで
爆発的に広げるきっかけになった作品なんですね。

アートはここから、
どういう文脈で、何を考えて、どう形にし、
それは何を感じさせるのか。

意図を含めた構想も評価される
そういう世界に入っていくわけです。

ただ、現代美術の出発点に
「便器」があるということは
私は偶然ではないと思っています。

だって、
ほとんど冗談じゃないですか。
ギャグです、まったくの。

「便器」をみんなで
鑑賞し、味わうんだから(笑)

つまりアート、現代美術って、
思考の、極限の「遊び」なんです。

だから、ギャグとして
楽しめばいいんです。

面白いのは、その思考が出てきた
文脈まで知っていると
もっと楽しめる、ということですね。

そういう現代アートをどう楽しんでいくか。

どうやってアートの世界に
入っていくかを
今週のヒマラヤFMでは話しています。

この感覚、思考の飛躍が、
アート思考やデザイン思考にも
つながっているんですね。

ヒマラヤFM 第189回 アートへの入り口
https://www.himalaya.com/ja/player-embed/99846/136463167

 

次回の更新もお楽しみに!